「延岡市」と言うようになったのは?

延岡市の名前がついた経緯をわかりやすく説明するよ。

  1. 昔は「あがた」と呼ばれていた
     昔、延岡は「英多(あがた)」や「県(あがた)」と呼ばれていたんだ。これはとても古い名前で、ずっと昔から使われていたと考えられているよ。
  2. お城ができたことが大きなきっかけ
     江戸時代になると、城主の高橋元種(たかはしもとたね)という人が、この地域にお城(最初は「県城」と呼ばれていた)を建てたんだ。お城ができると、その周りにたくさんの人が住むようになり、城下町ができたんだよ。
  3. お城の名前が変わったお話
     実は、1656年ごろ、有馬康純(ありまやすずみ)という城主が、大きな修理や改築をしたとき、梵鐘(ぼんしょう大きな鐘)に「日州延岡城主有馬左衛門佐(にっしゅうのべおかじょうしゅありまさえもんのすけ)」と刻まれているものが見つかっているんだ。この記録をもとに、お城の名前が「延岡城」と呼ばれるようになったと考えられているよ。
  4. 町の名前も「延岡」になる
     お城が「延岡城」と呼ばれるようになったので、そのお城を中心にできた城下町も「延岡」と呼ばれるようになり、やがて今の「延岡市」という名前になったと推測されているんだ。
  5. 名前に込められた意味
     「延」という字は「のびる」や「広がる」という意味があって、「岡」は丘や高台を意味する。延岡城は川に囲まれた高い場所に建っていたので、この二つの字がぴったり合っているとも考えられるよ。

【資料が不足しているということも】
ただし、これらのことは、昔の資料や伝えられる話に基づいた推論(すいろん)であり、資料が十分に残っていないため、確実な事実としてははっきり証明されていない。だから、「こうだ!」という絶対の答えではなく、いろいろな説のひとつとして考えてほしい。こういう謎を少しづつ解き明かしていくのが、楽しいじゃないか。
こういう理由じゃないかなぁ?
そのためにはこういう資料があれば説明がつくのに、、、。
こうやって考えていくんだね。


【まとめ】
昔、この地域は「あがた」とか「県」と呼ばれていたけれど、江戸時代にお城が作られ、そのお城が1656年ごろ、有馬康純によって大きな改修を受け「延岡城」と呼ばれるようになった。このお城を中心に城下町も「延岡」と呼ばれるようになり、今の延岡市になったと考えられている。しかし、これらは資料が十分でないため、確実なことではなく、いくつかの説の中のひとつだということを覚えておいてほしい。

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