延岡史談会のロゴマークうんちく

延岡史談会のロゴマークには「縣(あがた)」という漢字が入っている。どうしてだろう。
実は延岡市はその昔「あがた」と言われていたんだ。ここでは、その名前がどのようにしてできたのか、わかりやすく説明するね。

  1. あがたという名前のはじまり
    古墳時代(だいたい5世紀ごろ)、各地のリーダーたちは、自分の領地の一部を大きな国(ヤマト政権)にあげました。そのときに、いろいろな地域が「アガタ」と呼ばれるようになりました。延岡もそのひとつです。
  2. 奈良時代の表記の変化
    奈良時代のあるとき、国の名前や地域の名前を、いい意味を持つ二文字にするように決まりました。そこで延岡は「英多(あがた)」と書かれるようになりました。
    • 」は「すばらしい、きれい」という意味
    • 」は「たくさん」という意味です
  3. 中世のころの名前の使われ方
    時がたつにつれて、鎌倉時代や室町時代になり、「英多」ではなく、たった一文字の「(あがた)」と書くようになりました。
  4. 江戸時代の変化と今の名前
    江戸時代の1692年に、正式に「縣」が「延岡」という名前に変えられました。でも、昔の「あがた」という名前は、今も「安賀多町」という形で残っています。

このように、延岡史談会のロゴマークは、昔から続く「あがた」という名前の歴史を表しているんだよ。


ところで、今はもう町の名前は「延岡(のべおか)」に変わっている。どのようにして「延岡」に変わったんだろう。知りたくなってきたね。

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