「出北(いでぎた)の農民を救った岩熊井堰」~藤江監物の決断~
みんなが住んでいる延岡には、たくさんの田んぼ(水田)が広がっている。この田んぼに水がどこから来ているか、考えたことはあるかな?
「川から引いてきている」、そう、それはそうなんだけど、実は、延岡東小学校や延岡中学校周辺の土地は川よりも土地が高く、自然に水が流れ込んでくる、という場所ではなかったんだ。
農業には向かない土地ということだね。
そこで川の水面が高い、山の麓の川の流れをせき止めて水を溜め、そこから水路を作って水を引く、という工事が必要なんだ。そういう仕組みや設備を堰(せき)と言うよ。
延岡には「岩熊井堰(いわぐまいぜき)」があり、五ヶ瀬川の水を市内に農業用水として流している。
でも、この仕組みが最初からあったわけじゃないんだ。昔、このあたりの土地(出北)の農民の大変さを気の毒に思って、**藤江監物(ふじえ けんもつ)**というお侍さんが、水を引くために「岩熊井堰」を作ることを決めたんだよ。
🌊 昔の出北のあたりは、水が足りなかった!
今から300年くらい前の江戸時代、延岡の町は今とはちょっと違っていたんだ。例えば、
- 五ヶ瀬川周辺の水田は、水がたくさんあって、お米がよく育つ土地だった。
- でも、今の延岡東小学校や延岡中学校のあたりは、土地が高くて水を引くのが難しく、作物が育ちにくかったんだ。
「水が足りない!田んぼを作りたいのに、どうすればいいの?」
そんなふうに困っていたのが、出北(いでぎた)や別府(びう)の農民たちだったんだ。
🏗️「岩熊井堰を作ろう!」でも、みんなが賛成したわけじゃない
藤江監物は、「五ヶ瀬川から水を引けば、この土地も豊かになる!」と考え、岩熊井堰を作ることを決めたんだ。でも、この工事にはたくさんのお金がかかったんだよ。
すると、延岡の町の中には、こんなふうに考える人もいたんだ。
💬 「出北や別府のためだけに、そんなにお金を使っていいのか?」
💬 「このお金をほかの場所に使うべきだ!」
つまり、岩熊井堰ができても、すべての町の人が恩恵を受けるわけではなかったんだ。
そのせいで、監物は「お金を無駄にした!」と怒られて、牢屋に入れられてしまったんだ💦 でも、彼の想いを受け継いだ人たちが工事を続けて、10年かけて岩熊井堰はついに完成したんだ!
🌾 井堰ができたら、どうなった?
岩熊井堰ができたことで、出北の田んぼには水が流れるようになり、お米の収穫量が増えたんだ!
🌾 出北や別府の田んぼが潤い、お米の収穫が増えた!
💧 今でもこの地域の農業に役立っている!
🏞 景色が美しくなり、歴史的な場所として大切にされている!
でも、恒富小学校のあたりや南方小学校のあたりの農地には、あまり関係がなかったんだ。だから、「町全体のための工事だった」というより、「一部の地域のための工事だった」と思う人もいたんだね。
💡 でも、信じたことをやり遂げた監物は、今では称えられている
藤江監物は、結果的に牢屋に入れられ、当時は報われなかったかもしれない。でも、彼の考えを受け継いだ人たちが工事を完成させ、そのおかげで今でも延岡の田んぼには水が満たされているんだ。
そして、300年たった今、延岡の人々は**「監物のおかげでこの地域の農業が発展した!」**と感謝し、彼の遺徳をたたえている。監物が牢屋に入れられてしまったのは悲しいことだけれど、彼の信念を理解した人たちは、ちゃんと後世に伝えてくれたんだね。
もし、みんなが「これはみんなのためにやるべきことだ!」と思ったことがあったら、たとえその時に反対する人がいたとしても、同じ志を持つ仲間がきっと認めてくれる。
だから、「本当に良いこと」だと信じたことは、簡単に諦めずにやってみよう!
藤江監物のように、未来のために何かを残せるかもしれないね✨
実は歴史の中で、当時悪者にされ後世認められるという事件は沢山ある。もちろん、本当は牢屋に入れられず、多くの人に喜ばれながら事業を行うのが一番いい。その方法を探っていくためにも、歴史という学問を探求していってほしい。