🏯 家康と信長のひ孫が延岡藩主に嫁いでいた! ~日向御前って知ってる?~
みんなは 徳川家康 や 織田信長 を知ってるよね?
🏹戦国時代に大活躍した、有名な武将たち!
そんな 超有名な二人のひ孫(ひまご) にあたる女性が、なんと 宮崎県の延岡藩 にお嫁に来たことがあるんだよ! 😲✨
その人の名前は 国姫(くにひめ)。
彼女は、
✅ 徳川家康のひ孫!
✅ 織田信長の血も引いている!(母方をたどるとつながると言われてるよ)
✅ めちゃくちゃ気が強くて行動力のある女性!
そして、そんな彼女が延岡に来たことで 延岡の女性たちの伝説 が生まれたんだよ!👀
💡 国姫ってどんな人?
国姫は、江戸時代の大名 有馬直純(ありま なおずみ) にお嫁にいった人。
有馬直純は、もともと長崎の大名だった。そして国姫はその時に直純結婚している。
そんな直純は あるとき延岡藩に移ることになった んだ。
つまり…
国姫も延岡と深い関わりを持つことになった!🏯

でも、彼女はただの「お姫さま」じゃなかった!
彼女は めちゃくちゃ気が強くて、バイタリティーにあふれた女性 だったんだ!🔥
⚔️ 国姫のエピソード① 〜婿選びの試練〜
「結婚するなら、強い男がいい!💪」
そう思った国姫は、結婚相手の候補たちの 頭をポンポンとたたいて みたんだ。
でも、みんな「大名の娘にたたかれたら怒れない…😅」と黙っていた。
そんな中、有馬直純だけは 「頭をたたくとは何事だ!」 と怒った🔥!
これを見た国姫は、
「この人なら、勝気な私ともやっていけるはず!」 と思い、彼を夫に選んだんだって!💖
🏔 国姫のエピソード② 〜女人禁制の山に登る〜
昔、延岡には 女性が登っちゃいけない山 があったんだ。😮
でも国姫は、
「男が登れるなら、女も登れるはず!」 と堂々と登っちゃった‼️
この大胆な行動に、まわりはビックリ😲!
でも、「女性だって自由に挑戦できる!」 という考えが広まったとも言われているよ。
国姫、カッコよすぎる!✨
👑 いつしか「日向御前」と呼ばれるように…
こんなふうに、国姫は しっかり者で、行動力のある女性 だった!
だから、いつしか 「日向御前(ひゅうがごぜん)」 と呼ばれるようになったんだよ。
そして時代がたつにつれて、延岡では…
💡 「気が強くてしっかり者の女性」=日向御前
というふうに、女性のことを「日向御前」って呼ぶことがあったんだって!😳✨
つまり、今でも延岡には、国姫のように芯が強くて行動力のある女性 がたくさんいるってことだね!🔥
🏯 日向御前のおかげで、延岡は発展!
国姫が延岡藩に来たことで、延岡は中央(江戸幕府)とのつながりが強くなった!
そのおかげで、こんなことが起こったんだ✨
🎓 学問が発展!
→ 「広業館(こうぎょうかん)」 という学校が作られ、武士たちは 文武両道 の教育を受けた!
🎭 工芸が発展!
→ 延岡名物 「のぼりざる」 が作られ、今でも人気のおみやげになっている!
🚢 最新の技術が入ってきた!
→ 江戸からの情報が入りやすくなり、オランダで航海術を学んだ延岡出身の「オランダ貞」も登場!
🌸 昔も今も、延岡の女性はすごい!
延岡って、ただの田舎町…って思ってない?🤔
実は、江戸時代には 中央とのつながりが深く、文化や技術が発展した場所 だったんだよ!
そして、そのきっかけを作ったのが 国姫=日向御前 だったんだ!
もしかすると…
🏯 延岡に住んでいると、知らないうちに日向御前のようにしっかり者で、行動力のある女性になっていくのかも…!? 🤩
🌸 みんなも、地元・延岡の歴史をもっと知ってみよう! 🌸
日向御前(国姫)のお墓は、主に以下の2か所に存在します。
- 宮崎県延岡市の本東寺
- 福井県坂井市丸岡町の白道寺

