家康と信長のひ孫が延岡藩主に嫁いでいた! ~日向御前って知ってる?~
みんなは 徳川家康 や 織田信長 を知ってるよね?戦国時代に大活躍した、有名な武将たち!
そんな 超有名な二人のひ孫(ひまご) にあたる女性が、なんと 宮崎県の延岡藩 にお嫁に来たことがあるんだよ!
その人の名前は 国姫(くにひめ)。
彼女は、 徳川家康のひ孫!
織田信長の血も引いている!(母方をたどるとつながると言われてるよ)
めちゃくちゃ気が強くて行動力のある女性!
そして、そんな彼女が延岡に来たことで 延岡の女性たちの伝説 が生まれたんだよ!
国姫ってどんな人?
国姫は、江戸時代の大名 有馬直純(ありま なおずみ) にお嫁にいった人。
有馬直純は、もともと長崎の大名だった。そして国姫はその時に直純結婚している。
そんな直純は あるとき延岡藩に移ることになった んだ。
つまり…
国姫も延岡と深い関わりを持つことになった!

でも、彼女はただの「お姫さま」じゃなかった!
彼女は めちゃくちゃ気が強くて、バイタリティーにあふれた女性 だったんだ!
国姫のエピソード① 〜婿選びの試練〜
「結婚するなら、強い男がいい!」
そう思った国姫は、結婚相手の候補たちの 頭をポンポンとたたいて みたんだ。
でも、みんな「大名の娘にたたかれたら怒れない…」と黙っていた。
そんな中、有馬直純だけは 「頭をたたくとは何事だ!」 と怒った!
これを見た国姫は、
「この人なら、勝気な私ともやっていけるはず!」 と思い、彼を夫に選んだんだって!
国姫のエピソード② 〜女人禁制の山に登る〜
昔、延岡には 女性が登っちゃいけない山 があったんだ。
でも国姫は、
「男が登れるなら、女も登れるはず!」 と堂々と登っちゃった
この大胆な行動に、まわりはビックリ!
でも、「女性だって自由に挑戦できる!」 という考えが広まったとも言われているよ。
国姫、カッコよすぎる!
いつしか「日向御前」と呼ばれるように…
こんなふうに、国姫は しっかり者で、行動力のある女性 だった!
だから、いつしか 「日向御前(ひゅうがごぜん)」 と呼ばれるようになったんだよ。
そして時代がたつにつれて、延岡では…
「気が強くてしっかり者の女性」=日向御前
というふうに、女性のことを「日向御前」って呼ぶことがあったんだって!
つまり、今でも延岡には、国姫のように芯が強くて行動力のある女性 がたくさんいるってことだね!
日向御前のおかげで、延岡は発展!
国姫が延岡藩に来たことで、延岡は中央(江戸幕府)とのつながりが強くなった!
そのおかげで、こんなことが起こったんだ
学問が発展!
→ 「広業館(こうぎょうかん)」 という学校が作られ、武士たちは 文武両道 の教育を受けた!
工芸が発展!
→ 延岡名物 「のぼりざる」 が作られ、今でも人気のおみやげになっている!
最新の技術が入ってきた!
→ 江戸からの情報が入りやすくなり、オランダで航海術を学んだ延岡出身の「オランダ貞」も登場!
昔も今も、延岡の女性はすごい!
延岡って、ただの田舎町…って思ってない?
実は、江戸時代には 中央とのつながりが深く、文化や技術が発展した場所 だったんだよ!
そして、そのきっかけを作ったのが 国姫=日向御前 だったんだ!
もしかすると… 延岡に住んでいると、知らないうちに日向御前のようにしっかり者で、行動力のある女性になっていくのかも…!?
みんなも、地元・延岡の歴史をもっと知ってみよう!
日向御前(国姫)のお墓は、主に以下の2か所に存在します。
- 宮崎県延岡市の本東寺
- 福井県坂井市丸岡町の白道寺

